母のこと [暮らし]
1月2日、母が亡くなりました。
82歳、すい臓がんでした。
当初、別の理由からしばらく入院することになり、
2023年11月6日に当初入院予定だった病院へ。
そちらの病院では内科的治療は行えないため、
入院時に(治療が必要な症状がないかを確認するための)検査を受けたところ、
肺に水がたまっている・・とのことで、
急遽、8月に一度、検査を受けていた病院に繋いでいただいて、
そちらで再度検査をし、
末期のすい臓がんの可能性が極めて高いとの診断を受けました。
そのときの説明では、
8月のCTと、その日のCTから推測すると、
この進行の状況では、
何も治療しなければ余命3か月、
抗がん剤治療をすれば、少しは伸ばせる可能性はあります・・と。
その時点では、母は、
しんどそうではあるものの、自分で普通に歩けていたし、
まだ元気はあった感じでしたし、
その後、抗がん剤治療も始めましたので、
もう少し、一緒に過ごす時間はある・・と、正直思っていました。
「春に、桜を見られたらいいのに・・」とも思っていたのですが・・。
12月に入ってからみるみる弱ってしまい、
本当、11月はじめにすい臓がんと言われてから、
あっという間だったように思います・・。
入院当初、
すい臓がんの診断を受け、母はもう長くは生きられないということも、
それまでまったく想像していなかったので、現実味がなく、
でも、しないといけないこと、考えないといけないことはたくさんあり、
悲しむ暇もなく・・でした。
1月2日に母が亡くなり、
そのことも受け止めきれないというか、実感がない状況でしたけど
しないといけないことがたくさんあり、
葬儀を終えて、ひとまず仕事(日常)に戻ってからは仕事も忙しい時期で・・
という状態でしたので、
気持ちの余裕がありませんでした。
仕事のピークはようやく過ぎ、
母の手続き関係もまだ少し残っていますが、だいぶ落ち着きましたので
思いついたまま・・ですが、記録を残しておこうと思います。
母はここ数年、夏の終わり頃に疲れが出るのか、
9月~11月くらいまで体調がすぐれない状態が続いている感じでしたが
今回は、7月くらいから「しんどい」「お腹が痛い」と言っておりました。
近所のかかりつけのクリニックで受けられる検査では異常なし。
でも症状は相変わらず・・ということで、
紹介状を書いていただき、地元の総合病院へ。
そこでCT、その他検査をしたけれど異常なし。
検査の結果は異状なしとのことなので、
私個人的には、
昨年の夏は暑かったですし、「暑さのせいかな」とか、
母はだいぶ前にメンタルを病んだことがあり、それ以来、心療内科も通院していますので
「気分的なものかな」とか思っておりました。
でも、「お腹が痛い」というのが、気になっていたんですけど。
「痛み」って、何か原因があるんじゃないの??と思いまして。
それ以降も状況は変わらず、
母は再度、紹介状を書いてもらって、別の総合病院に行きましたが
(紹介状の内容がどうだったのか、母がどういう説明をしたのか・・は分からないですが)
特に何も検査もしなかったとのことで・・。
(後から思えば、そのときに、私も付き添えばよかったのかも)
でもそこからも体調は変わらず、
心療内科の医師から、私も一緒にきてくださいと言われ、
●11月1日(水)、母のかかりつけの心療内科へ。
医師から
「内科的には問題ないとのことですが、食欲が落ちていて、あまりいい状態ではない」
とのことで、
母の希望もあり、しばらく入院することになりました。
●11月6日(月)当初の入院先へ。
そこでの入院時の検査で、肺に水がたまっているとの説明をうけました。
(母が一緒にいたからか、そのときの説明では伝えられませんでしたが、
すい臓も腫れていたようです。)
同日 当初の入院先の病院から、8月にCTを撮った病院に繋いでいただき
そちらの病院へ。
いくつか検査をした結果、
すい臓がんの末期の可能性が極めて高いと告げられました。
母が検査中、私が先に呼ばれて伝えられた内容としては、
8月に撮ったCTと、その日に撮ったCTを並べて見せていただきましたが
8月のときのすい臓と比べてかなり大きくなっているとか、その他の所見も見られ、
それらから推測するに、
すい臓がんの末期、腹膜播種も見られ、
何もしなければ余命は3か月ほど・・とのことでした。
●11月7日(火)主治医から電話あり。
入院初日とこの日の朝も食欲があり、元気そうなので、
このまま何もしないという選択肢はもったいないと思う・・とのこと。
抗がん剤治療をするためには、生検をして確定の診断をする必要があり、
その生検を担当する先生が木曜日で、
治療は早く始めたほうが望ましいので、
明日、家族の方に病院にきてもらって、説明をさせてもらうことは可能か?
とのこと。
●11月8日(水)弟と病院へ。
母にもすい臓がんであることを伝え、9日(木)に生検を受けることを決定。
入院支援のソーシャルワーカーより、
今後、介護保険も利用するので、区役所で申請をするようにとの説明あり。
1日休みをもらっていたので、区役所に行って手続き。
・・・しようとしたら、
母は、今回のこととは関係なく、ご近所の方から勧められ、
8月に介護保険の申請をしていたとのことで
今回は「状況が変わった」ということで、「区分変更」の申請を行う。
同じく区役所で、健康保険(後期高齢者)の限度額認定の申請。
●11月9日(木)
超音波内視鏡検査(生検)と胸水を抜く治療。
●11月10日(金)
抗がん剤治療担当医師から電話あり。
家族に説明をしたいとのことで、13日(月)に予約
●11月11日(土)
9時頃 病棟担当医から電話あり。
背中に痛みが出てきたとのことで、モルヒネの1種を少量から投与しますとの連絡
15時 母と面会。
病院はまだ「コロナ対応中」のため、
面会ルールは、「面会は月~土」「親族のみ」「週1回」「1回15分、2名まで」。
次の土曜の予約をし、母から頼まれたものを購入して帰宅。
●11月12日(日)
日曜は面会はできないが、荷物の受け渡しは可能なので
母から頼まれたものを届ける。
●11月13日(月)弟と病院へ
抗がん剤担当医(そこからその先生が主治医)から治療についての説明。
他、今後のことを言われる。
抗がん剤治療は、原則「通院」とのこと。
(入院しないといけない人は、「しんどい状態」を作るだけなので
抗がん剤治療は行えない とのこと。)
母は、当面の治療(胸水を抜く、食欲がなかったので改善のための点滴など)や
検査も一通り終わったので、退院してもらってよいとのこと。
・・・が、母はもともと、別の病院にしばらく入院する予定だったので
家で一人で過ごすのは不安だと言う。
職場の女ボスには、入院時に事情は報告しており、
「家で仕事をしてもいいよ」とも言ってもらっていた。
現実的には、ずっと家で仕事は難しいので、
午前中出勤して、午後から帰る・・というふうにすれば、
母にウチに来てもらっても・・と思ったが、
母は、弟の家にも、私の家にも行きたくないと言う。
(迷惑かけたくないとのこと)
それで、高齢者施設へ入居を検討。
施設が決まるまでは入院させてもらえるとのこと。
●11月14日(火)主治医から電話。
検査結果(病理検査も)が出て、すい臓がんの診断が確定。
胸水からもがん組織が認められたとのこと。
●11月16日(木)主治医から電話。
痛みが落ち着いてきたので、翌日から抗がん剤治療を始めていくとのこと。
(1クール3週間。2週間して1週間休み)
がんの影響か、体をあまり動かしてないからか、食欲が落ちているとのこと。
あまり食べられないようなら、抗がん剤治療は難しいとのこと。
その後、抗がん剤治療は、1クール目は、副作用はなさそう。
●11月18日(土) 母と面会
翌日は母の誕生日なので、弟は母へプレゼントを用意してくれた。
●11月19日(日)
母から頼まれたものを届ける。
●11月22日(水)
退院後の入居施設については、弟もいろいろ探してくれたが、
看護体制などの条件を満たしているところ・・等、
時間があまりない中、条件をすべて確認していくのは難しく、
最終的に、病院のソーシャルワーカーさんが提案してくれた中から決定。
施設見学の予約。
●11月25日(土)
午前中、弟と施設を見学。
体制、雰囲気はよさそうで、すぐに入居できるのでそこに決定。
いただいた資料の「入居に必要なものリスト」の品を確認。
母の家にあるもの、私の自宅にあるもの、買わないといけないものを選別。
午後 母の面会
●11月26日(日)
母に荷物を届ける。
●11月27日(月)
病院のソーシャルワーカーに、施設見学の結果、決定したことをお伝え。
入居の面談(施設のソーシャルワーカーと看護師)を28日にしてもらうことが決定。
●11月28日(火)
午前 母の手続き関係のことで平日しか電話できない先に確認
午後 病院で施設入居の面談
同席予定ではなかった主治医も同席くださる。
●11月29日(水)ケアプランセンターの担当者より確認事項の電話あり
●12月1日(金)主治医より電話
母の食欲がかなり落ちているので、改善する薬を処方するとのこと。
その薬は副作用が出る可能性があるので連絡しましたとのこと。
●12月2日(土)
11/28(火)に面談した分は「今週の面会」1回にカウントされたのでこの日は面会できず。
荷物の受け渡しのみ。
介護保険の区分変更の認定が届く。
施設入居に必要なものを買い物。
(100均、ドラッグストア、ホームセンター、スーパー)
●12月3日(日)
施設へ荷物を搬入。
●12月5日(火)
退院して施設へ入居する予定が、
約束の9時前に病院に行くと、前夜から母の呼吸状態が悪くなり、急遽検査中とのこと。
胸水がまたたまってきており、たまるペースも早いとのこと。
何度も穿刺するのもよくないので、
管を入れて胸水を抜き、その後、たまりにくくする治療をするとのこと。
12月8日からの抗がん剤治療はいったん延期。
よって、この日退院はできなくなり、施設にその旨連絡。
当初の予定では、午前中に入居し、
私は午後から、入居に際しての契約の手続き(全部で2時間くらいかかると言われていた)を
することになっており、
「契約は今日済ませます」と申し出たのですが
施設長さんが、状況から考えるに最低でも1週間は延びると思うので、
契約は改めてにしましょうと言っていただく。
契約をすれば施設の家賃がかかり始めることを気にしてくださったのはありがたかったが
契約にかなり時間がかかりそうなので
退院、入居、契約で1日休みが必要になるが、そこから先は仕事がたてこむ時期になるため、
退院・入居に決まった日に1日休めなかったら・・と考えると、
個人的には、契約はこの日にしたかった・・
というのが正直なところでした。
病院で母に付き添うこともできないため、急遽ぽっかり予定が空き、
今後のことも考えて午後から出勤。
出勤時間までの間、実家の手続き関係のことで諸々電話確認。
●12月13日(水)主治医より電話
12/8に胸水の処置をして、そのあと問題なし。
本人は「しんどい」と言ってるが、退院の方向でとのこと。
退院は12月19日(火)に決定。
その旨を施設に連絡。
●12月15日(金)主治医より電話
抗がん剤(2クール目)開始。
退院後の通院の予約確定
12/28(木) 管を抜いたあとの処置 →弟に行ってもらう
1/5(金)抗がん剤治療 →私が行く
●12月16日(土)
母と面会。
かなりしんどそう・・・。
退院が延期になり、胸水がたまりにくくする治療をしましたが、
その治療の間、脇腹(?)に管が入ったままで歩けなかったため、
すっかり足腰が弱ってしまったとのこと。
それまでは自分で歩いてトイレにいったり、
リハビリ担当者と一緒に歩いたりしていたのに
車椅子生活になってしまいました・・。
ここにきて、抗がん剤治療も副作用がでてきているようで、
しんどそうだし、抜け毛も目立つようになりました。
こんな状態で火曜日に退院できるのかなぁ・・と不安。
母自身も不安に思っていて、病院に居たいと思っているようだったので
それでも入院できないって、
医療のルールというか、しくみというか、難しいなぁと思いました。
●12月19日(火)
退院、施設に入居
当初の退院日(12/5)のときは、
退院後、いったん実家に立ち寄って施設にもっていく荷物で
すでに運んだもの以外で必要なものがないか確認してもらい、
ご近所の親しい方とも会っていただいてから施設に・・と考えていましたが、
退院が延期になった間に、車椅子生活になってしまって移動もナンギだし・・ということで
立ち寄るのもとりやめ、病院から直接施設へ。
また、そのような状態なので、
私一人で大丈夫か?という弟の意見により、
その日は仕事を休めなかった弟に代わって、弟の奥さんが一緒にきてくれることに。
本当、助かりました。
14時から「契約書類記入」大会
11/29にケアプランセンターの方からお電話をいただいたときに、
「契約はいっぱいあるから大変ですよ~」と聞かされていたので
心の準備はしていましたが、
3時間近く、延々と契約書に署名・押印を続けました・・。
6つほど契約することになると聞いていたのに、
退院延期になったことで連絡行き違いなどもあり、
ケアマネさんとの契約は後日に・・。
いや~、それにしても、介護のしくみも複雑ですよね・・。
契約は、
・高齢者施設
・訪問介護
・訪問看護
・介護用品
・薬局
・提携クリニック
そして、後日、・ケアマネ
●12月23日(土)
母に面会。
病院と違って時間を気にせずに会えるのがありがたい。
・・・でも、母はしんどそうで、あまり話もできない感じ。
●12月24日(日)
母に面会。
この日、ご近所の母のお友達4人が面会にきてくださった。
私はそのあとに着くように行く。
持っていってた室内履きのスリッパが使いにくそうだったので
入居の日、契約までの間に弟の奥さんとお昼を食べに外に出たときに
近くで購入して戻ったのだけれど、それも使いにくいと言う・・・。
なのでこの日の帰りにホームセンターに寄って購入。
どんなのがいいか、本人に一緒にきてほしいところだけど、そうもいかない・・。
●12月28日(木)
母の通院日(管が入っていたところを止めていたものをはずす)
私は休めなかったので弟に行ってもらう。
会計待ちをしているときに「しんどい」と言い出し、
再度診察してもらう・・・を2回繰り返した・・とのことで
結局、施設に戻ったのは16時くらいになった・・と弟から連絡あり。
●12月29日(金)
この日は午後から(連絡漏れのためできていなかった)ケアマネさんとの契約を
することになっていたので、
お昼過ぎに母の面会に行き、契約もする予定でしたが
朝10時くらいに施設長さんから電話あり。
呼吸状態が悪化していて酸素濃度の数値が下がっているので
医師の指示で酸素吸入してます、すぐに来てください・・とのこと。
お昼くらいに出る予定でしたが、用意してすぐに施設へ。
今は一応落ち着いているとのことで、
契約を済ませ、夕方までいて帰宅。
●12月30日(土)
朝9時頃、施設長さんから電話。
呼吸状態がさらに悪化しているとのこと。
施設に入ったとき、
「もしものときに、延命治療を行うか」等の確認はされていましたが、
YesかNoで答えるのが難しくて・・。
私たち家族の意見としては、
「もう治療ができない段階になったときは、病院に搬送しても、
できることは施設にいても同じだから、病院搬送も延命治療も行わない。
でも、抗がん剤治療中の現時点で、処置をすれば症状が改善するということであれば
病院に搬送して処置を受けたい」
というもので、口頭では説明していたのですが・・・。
今回、連絡があり、「病院搬送してもよい状態だと思う」と言われたので
「お願いします」とお伝えしたときに
「病院搬送は希望されていませんが、本当にそれでいいですね?」
みたいに言われ、どうしたらいいか分からなくなりそうでしたが
まだ「施設で看取る」という段階・状態じゃないって思ったので
病院搬送してもらいました。
病院では、かなり厳しい状態、いつ急変してもおかしくないと言われました。
栄養状態もよくないけど、栄養を取ってもガンに取られてしまう状況だとも・・。
この日から再度入院となりました。
いったん施設に戻って、身の回りのものを持って病院へ。
本来、入院初日に面会はできないとのことでしたが、
担当医の許可で病室まで荷物をもっていかせてもらいました。
また、本来の面会ルールでは、面会日は1月4日からとのことですが
年末年始、(時間は15分程度で2人ずつではありますが)いつでも来てもらってよいとの
許可もいただきました。
看護師さんからも、
「いつ急変してもおかしくない状態です。電話はすぐに出られるようにしといてください」
と言われる。
●12月31日(日)
母と面会。
痛みがあるのか、しんどいのか、
ときおりものすごく辛そうな顔をして、手をばたばたと動かす。
面会しやすいように個室に移していただいていた。
●1月1日(月)
12/29に施設から電話があって以来、お風呂に入るのが緊張して・・。
今電話があったらどうしよう・・と思うとお風呂に入るのがこわくて・・。
午後から弟一家と面会に行くことにしていたので、午前中、少し走ろうと。
元日は、だいたい、少し長めに走ったり、出かけていつもと違うところを走ったりしますが
出かけるのはやめて近場を・・と思いましたが、
地元の公園を走っても、いちばん家から離れたところは5キロくらいあるので
病院から電話があってもすぐに家に戻れない・・と思い、
自宅近くをぐるぐるしました。
午後から面会。
前日よりは辛そうな様子をしていなかったので少しホっとする。
今年から看護師になった姪っ子曰く
「死ぬ間際の呼吸の仕方はしてないけど、危ない状態ではあるね・・」
自宅に戻り、姪っ子の言葉を思い出し、
今すぐどうこうはないかと思い、先にお風呂に入っておこうと
戻って先にお風呂に。
お風呂を出て、脱衣所においてあったスマホで着信がないか見ようとしたら
ネットニュースで「石川県で震度5」の速報が。
「え???」と思った矢先、ぐらぐらぐら~~っと揺れを感じ、
慌てて服を着ました。
不安な気持ちでいっぱいの新年のスタートになったな・・と思いつつ
早めに寝ました。
●1月2日(火)
朝6時、病院からの電話で目が覚め、
「心拍数が落ちてきました。すぐに来られますか?」
弟に連絡を入れて、私はすぐに病院へ。
私が病院に着いてから15分後くらいだったでしょうか、
母は亡くなりました。
前日もそうでしたが、苦しそうな様子はなく、穏やかな顔をしていたのが
救いでした。
私は、施設よりも病院のほうが近いので、
連絡をいただいて何とか間に合いました。
年末年始休暇中で、家にいるときでしたし、
この日の当直は母の担当医で、お世話になった先生に看取っていただけたことも含め、
すべてにおいて恵まれていたと思います。
正直、こんなに急に病状が悪化して、こんなに早く亡くなるなんて・・と
まだ実感がないというか・・。
何も治療をしなくて余命3か月と言われていたので、
抗がん剤治療をして少しは命を伸ばすことができて、
施設の近くの公園の桜を一緒に見ることができるかな・・・とか、
お正月休みは、(外出はしんどそうだったので)施設の母の部屋で
一緒にニューイヤー駅伝と箱根駅伝を見ようかな・・とか思っていたのに・・。
母のために、あんなに頑張って契約書類をたくさん書いて、
お部屋も、居心地よく&使い勝手のよいように、
弟、弟の奥さんとも協力して整えたのに、
結局、10日くらいしか住まなかったなぁ・・、
もう少し長く、施設での生活を楽しんでもらいたかったな・・、
とか思ったりしたのですが、
施設に面会に行ってくださった母のお友達が、葬儀に来てくださったときに
「kero母さん、(病院は親族以外の面会は禁止だから)私たちが会いにいけるように
施設に移ってくれたのかなぁ」
って言ってくださって、報われた気がしました・・。
葬儀に関しては、
生前(かなり前から)、
こうしてほしいという希望や、お食事のランクまで書き残してくれていたので、
私たちは、式場の方にそれを見せて「母がこう希望していますので」
という感じで進めていけました。
おそらく、父の葬儀のときに、
式場での打ち合わせのときに、式場の方に1つ1つ聞かれながら決めていくのが
大変だった・・と思っていて、
私たちがしんどい思いをしないように・・と思ってくれたのだと思います。
斎場の都合で4日通夜、5日告別式となりましたので
5日と手続きのため9日はお休みをもらいましたが
お正月休みでしたから、仕事もあまり迷惑をかけなくて済み、
「お母さん、どこまで子供孝行やねん・・」って思うと涙が出てきます・・。
これから、折々に思い出してはさみしくなりそうですが、
頑張って生きていかないとね・・・。
そんなわけで、今月はこれまで、
母の関係の手続き、支払い(まだすべて終わっていませんが、あとはおいおい)、片付け、
仕事も忙しい時期で毎日帰りが遅い状態が続いたり・・で
気持ちに余裕がありませんでした。
ブログは、またぼちぼち続けていけたら・・と。